今日もわんにゃん日和

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「もの食う」ということ

自他共に認める、食いしん坊だ。
食べるのも、作るのも、他者に食べさせるのも、好きである。

24歳の時のほっそりした私は、もうどこにもいない。
黒木メイサちゃんが着てるユニクロのパンツを試着したら、ウェストサイズは合ってても太ももがあまりにも残念なことになったのは、つい昨日のことだ。
太くたくましく、福々しく(?)ずうずうしく(?)、小心な、ありのままの40代半ばの自分がいる。

食ということの後ろには、生々しく人があらわれる、と思う。
食と性について、魅力的な文章が書けるようになったら、物書きとして一人前だともいうし、また一生かかってもその分野について書くのは修業の途上でしかないとも思われる。
私の敬愛する作家、亡き開高健氏は、そのどちらをも、この上なく魅力的に書くお一人だった。
なんとなれば、そのどちらをも、心から愛し、楽しみ、苦しみ、いとおしんでおられたからだと想像する。

食の本で、最近読み返したのは、辺見庸氏の『もの食う人びと』(角川文庫版)である。1992年~1994年にかけて、世界各国を歩き、バングラデシュのスラム街の残飯、ボスニア・ヘルツェゴビナ難民への救援物資のパン、セルビア正教会の修道院の食事、ブランデンブルグ刑務所の食事……どちらかといえば、美食の反対側にあるもの、食わねば生きていけないぎりぎりのところにある食を、ともに食うことで描き綴ったルポルタージュだ。
日本は、バブルが崩壊したものの、美食、飽食にはかげりも見えない、そういう時代が続いている。

その中に「禁断の森」と題された一篇がある。チェルノブイリ原発およびその周辺の人々との数日間である。
「石棺」と化した4号機のほかは稼働を続ける原発の食堂で、辺見氏が持ち込んだ測定器は1.0マイクロシーベルトを示す。ここの食品は原発の30キロ圏内のものを使っていないから大丈夫、という言葉を皮切りに、「このあと私は各所で百回ほども『だいじょうぶ』を聞かされることになる」。

放射線の専門家に「森のキノコとこのへんの魚は食わないほうがいい」と忠告されたあと、辺見氏がみたものは、「いや、いや、食べているのである。森のキノコも魚もりんごも、ムシャムシャと」という地域住民(老人ばかりなのだが)の姿だった。
「それは目の覚めるような食卓だった」住民の家で出された地のものをつかった料理の数々。
食の楽しみは失われずにあり、ただその中に、目に見えないものへの怒り、あきらめ、恐れ、楽観、複雑なものが沈んでいる。

一篇の最後に、辺見氏はこう書かれた。
「風景が黙示しているものの深さ、恐ろしさが、私には見えるようで、まだ見えていないのかもしれない」

その、風景の続きが、十数年後の日本に再現されている、のかもしれない。
読み返しつつ、そのことを思い、ただ私は、辺見氏の出会ったチェルノブイリの老人たちに共感を覚える部分がある。守るべき子どももない私には、目の前にある食材を淡々と食うのみ。福島産、茨城産、銚子の海の魚。これまでずっと食べてきた、身近なところでとれたもの。この場合もまた、身土不二を私の中で損なうことはないだろうと思っている。

・・・・・・・・

ここからは、余談になるのかもしれない。
食に関する文章を読んだとき、書き手が食を介して他者と濃密な共感を得ている場面に、読み手は共感する、つまりは「すばらしいと感じる」のではないか、と感じる。

食こそは、容易に人との距離を縮めることもあれば、人との距離を遠ざけるものでもある。
距離を縮めたいと思うのならば、同じ釜の飯という言葉があるとおり、同じものを共に食するに限る。
辺見氏も『もの食う人びと』の取材で、自分に、その地の人と同じものを食べることを課して、そのことで、「もの食う風景に分け入」ろうとしている。

同じものを食べる人に対して、人は警戒を解くもの…というのは、あちらこちらで目にし耳にすることである。

民俗学の世界で、神様に供え物をして、それを共に、またはあとでいただくことを「共食」という言葉で表現することがある。神を人と同じように、ものを食べる存在ととらえ、自分も神と同じものを食べることで、もてなし、また神の力を分けてもらうというような意味が含まれる。
生け贄、人身御供を捧げるという、一見残酷な儀式も、根源的には、相手に食べ物を与える行為であろう。

変な話だが、「相手にものを食べさせ、仲良くしたい」という意味では、公園の野良猫に餌をやる人たちでも同じことだと私は思っている。

自分の同族以外に、食べ物を与えようとする動物は、人間の他は、チンパンジー(だっけ?)で一部そういう行動が見られるだけで(犬が子猫に乳を与えるとか、そういうのは別として)、人間の特異的な行動らしい。

つまり、ヒトってそれぐらい「食べさせたい」動物、「食べさせて・一緒に食べて仲良くなりたい」動物なんだよねというのが、私の持論である。

おおよそのところで、その試みは成功する。

「餌付け」というぐらいで、野生動物だって餌を与えてしまって仲良くしようとする。
野生動物に餌付けは、私は良くないこと、と捕らえているけれども、野生動物のほうでも、餌がもらえるなら簡単に餌付けされてしまうもの、であることも否めない。

中には、頑として餌付けを拒否する者もいる。
私が数年前、かかりつけ獣医さんのところで出会った猫。交通事故で大けがをして運ばれてきた野良猫は、手術で一命を取り留め、痛みも抑えてもらっているのに、頑として食事に口を付けようとせず、2週間が過ぎようとしていた。野良猫のこととて、強制給餌もままならず、先生は「このまま食べなければ、この子は自分で死を選ぶようなものなんだけど」と眉を曇らせていた。その後、その子がどうなったかは実は知らないのだけれど…。

昨年、飼い主大学の講師として来日された、グレン・マーティン先生の授業は、いろいろな意味で心に残るものだったけれど、面白かったのは、その場にいた「初対面の」犬たちが、どんどん先生に惹かれて目をキラキラさせてついていくことだった。短時間でトリックを教える実演をするために、先生は「ヒミツのトリーツだよ♪」といいながら、アメリカから持ってこられたトリーツを犬たちに与えて「仲良く」なった。

確かに、ちょっとジャンキーな雰囲気の袋に入った、そのアメリカンシークレットトリーツは、犬たちにはとても魅力的な食べ物であったかもしれない。でも、犬たちが目をキラキラさせた原因は、トリーツを出す先生自身であったことは、そばで見ていて不思議なぐらい、伝わってきた。

「ヒミツなんだよ」と茶目っ気たっぷりに犬に話しかける表情。「あそこに入ってるんだ。他の子には内緒だよ、キミだけに教えるからね」とスーツケースにこっそり歩いて行くふりをする先生に、犬たちが尻尾をブンブン振りながらついて行ってしまう。教室中大爆笑の場面だった。

「食ということの後ろには、生々しく人があらわれる」
その、なんというかとても幸せな、そしてとても見習いたい、一場面だったような気がしている。

同じシークレットトリーツを、ぼそ~っと何も言わずに出しただけだったら、犬たちは、食べて、「もうないの?」と探して、手に何もなければ、それで興味を失って終わり、だったと思う。

「このオジサン、まだなんか持ってるかも? 何をするんだろう? どこへいくんだろう?」
一粒のシークレットトリーツのオイシイ味を介して、グレン先生はあっという間に、犬たちを「先生自身」に惹きつけてしまわれた。

シークレットは、トリーツではなく、先生自身だったのだ。

私は、犬オヤツ作りが大好きで、たぶん、クウカイの友達犬たちには、「オヤツのおばちゃん♪」だと思われていると思う。私のオヤツポーチは、いろんな子のヨダレが相当しみついていそうだ。

飼い主さんの中には、オヤツを与えるのはNGという人だって、当然いらっしゃる。もちろんのこと、他人の犬にオヤツをあげるかどうかは、飼い主さんにちゃんと聞いてから、というのは曲げてはいけない大原則だ。

その上で、私はオヤツのおばちゃん♪であることを、喜びたいと思う。
そして同時に、私自身が「シークレットトリーツ」でありたいとも思っている。

トリーツも、クリッカーも、ほめる声も、なんでもんかんでも、使えるものは何でも使うんだよ、と目を細めて話してくださった、グレン先生のような人でありたいな、と思うのだ。


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プロフィール

中村 麻衣(亮子@クウカイママ)

Author:中村 麻衣(亮子@クウカイママ)
【私】
ピーナッツ県在住
愛玩動物飼養管理士1級
J-HANBSインストラクター
4ワン1ニャンの母
地域の犬猫ボランティア
本業・医療を専攻するライター

もう我が家に犬猫は増やせませんともさ!!

【レイ】
MIX猫去勢♂ 
1998年生まれ
民間保護施設より譲受
白黒の変顔じいちゃん
2015年2月11日卒去

【めめ】
MIX猫避妊♀
推定2004年生まれ
近所の公園で保護
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2014年3月29日卒去

【クウカイ】
MIX犬去勢♂
2005年生まれ
香川県高松市で保護
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9歳でクリッカードッグとしてデビュー
たまにAAEのわんこ先生を務める。

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推定2006年生まれ
近所の公園で保護
趣味・おとしゃんを齧ること
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【キララ】
MIXメス 2004年生まれ。
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面倒見がよく物見高いお嬢様
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わんこ先生として活動していたが引退。

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特技はジャイアン系熱唱。
福島は新地町で保護される。
オスなのに乳腺腫瘍発症。
良性だったけどFIV+だし、
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【サチコさん】
白柴系ミックス犬、推定15歳超
(2015年6月18日現在)
ゆえあって元主が飼育を放棄したため
我が家へ。亮子は介護者認定。
得意技は「5歳若かったらただじゃおかない」ムキ顔。


【おとしゃん】
いろいろと忍耐づよき配偶者。
寛容だが犬扱いは依然へたくそ。
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